「よくおま○こなんて平気な顔して言えるわね、久しぶりに会った友達の前で」
観客席の好奇に満ちた視線を逃れ、ひと気のない体育倉庫の裏で泣きじゃくっていた優香に千夏が言った。
「まあ一応合格ね。ただ一つ『オナニーして濡れてる』って言うの忘れたみたいだけど」
「ねえもう許して! これ以上もう堪えられない!」
「堪えられない? あら、快感、なんじゃなかったの?」
「それは言わされて、しかたなく……」
「なによ全部あたしが悪いって言うの?」
そうだ、と優香は言いたかったが、また千夏を怒らせるのが怖いので、
「……そういうわけじゃないけど」
と曖昧に答えた。
「まああたしも鬼じゃないから、この辺で勘弁してあげたいんだけどね……」
「え? じゃあもう許してくれるの?」
「うん……あたしはね。だけど田崎が……」
優香はその名前を聞いて青ざめた。修学旅行での一件以来、その教師の存在は優香にとってトラウマになっていたのだった。
「田崎……先生? 先生がどうしたっていうの?」
「実はその田崎がすべて裏で仕組んだことなのよ」
「……どういうこと?」
「つまりね、今までのことは全部、田崎があたしに命令して、いじめさせたことだったのよ」
「田崎先生が……」
優香はにわかには信じられなかった。きっとまた千夏のでっち上げだろうと思った。が、先程の準備体操の一件(あの急な呼び出し、不自然な公開裁判)のときから、もしや田崎も一役買っているのではないかと薄々疑っているところでもあった。
「なんで? どうして先生が、そんなこと……?」
「事の始まりは夏休みだったの。夏休み中に、あたしが、万引きを見つかっちゃってね。それで学校から田崎が来て、まあそのときはあいつのおかげで何とか許してもらったんだけどね。でも、それからあいつは、その万引きの一件であたしを脅すようになったの。他の教師に報告して会議にかけるぞとか、親に電話で言うぞとか……」
「で、それがどうしてあたしに……?」
「あいつ前々からあんたのことが好きだったらしいのね。で、何とかあんたに近づくことができないものかと、いろいろ方法を探っていたみたいなの。そしてそこに現われたのがあたしだったのよ。つまり、あたしがあんたをいじめているように見せ掛けることで、自分は、立場を危なくすることなく……」
と、千夏は急に両手で顔を押さえ、わんわん泣き出した(そう優香には見えた) そしてしばらくして泣きやむと、続けて言った。
「つまり、まずあんたの弱みを握って、恥ずかしいことを散々させる。そしてあんたを露出狂にでっち上げようとしたのね。それから、もう充分あんたの信頼をなくしたところで、つまりもう誰もあんたの言葉を信用しなくなったところで、修学旅行で、あんたとセックスを……」
「いやぁぁっ!」優香にとってそれは思い出したくない過去だった。「そのことは言わないで!」
「ごめんね……でも、これだけは言わせて。修学旅行の一件があったあと、あんた、一週間学校を休んだじゃない? それを知ると田崎は、もしかしたらあんたが警察に通報したんじゃないかと、不安だったらしいの。そこであたしに様子を探ってこいと命令したの。そして、あんたがまだどこにも通報してないと知って田崎は一応ほっとした。と同時に、まだまだ証拠固めが足りないとも思ったのよ。つまりあんたが嘘つきの露出狂だっていう証拠がね……」
千夏の話を聞きながら、優香は、頭の中のさまざまな記憶が一つ一つ辻褄を合わせていくのを知るのだった。そして、始めは疑っていた千夏の話を、段々信じていくようになった。
「それじゃ……それじゃあ今日のこの仕打ちも……?」
「そう、あんたの信用をなくすための……そしてもう誰もあんたを弁護する人がいなくなるように、中学のときの友達まで呼び出して……」
「ひどい……大切な親友だったのに。もうあたしに残った最後の……」
「すべて田崎の、あの最低な男の計画だったのよ」
と、優香の頭の中に、この春からの、一連の奇妙な出来事が走馬灯のように浮かび上がる。そしてふと、一つの疑問を抱いた。
「あ、ということは、香織も? 香織も田崎に命令されていたの?」
「え? 香織?」
千夏は一瞬何のことを言っているのかわからなかった。が、すぐに事情を何となく呑み込み、
「ああ、香織ちゃんね。そうよ、香織ちゃんも、あたし詳しくは知らないんだけど、田崎に何か弱みを握られて、やったのよ」
「ひどい……ひどすぎる! あたしの一番の親友を使うなんて…… あたしもう決心した。もうあの男の思い通りにはさせない。警察にすべて話すわ」
「ダメ! それだけは絶対にダメ! 少なくともいまはまだダメ。いま警察の人に話しても、誰も優香ちゃんの言うことを信じてくれないわ。優香ちゃんにとって不利な証拠が揃いすぎているから」
そう言われて、優香はいましがた抱いたばかりの決意が早くも揺らいでしまった。それほどまでに自分は堕落してしまったのかと、露出狂としてもう誰もが自分のことを思っているのかと、絶望感を抱くのだった。
「でも、あたしにも考えがあるわ」
やがて千夏は奈落の底にいる優香に手を差し出すかのように言った。
「なに? 考えって? ねえ、それであたし助かるの?」
千夏は確信に満ちた表情で、「助かるわ」
「教えて! ねえ、その助かる方法を教えて!」
優香はもう藁にもすがる思いだった。
「その方法がうまくいけば、絶対に助かるわ。でも、さっきも言ったけど、いまはまだダメなの。少なくとも今日の体育祭は、何でも田崎の命令に従わなければならないわ。でも大丈夫。近いうちにあたしが絶対救ってあげるから。だからつらいかしれないけど、優香ちゃん、今日だけは頑張って堪えて」
怪しげな宗教を信じる人の気持ちというのはあるいはこのようなものなのかもしれない。優香はもうすべてから見放された絶望のどん底の中で、自分に差し出された唯一の救いの手を、もう疑うことなく掴むしかなかった。実はそれが自分をさらなるどん底に突き落とすものだとも知らずに。
「うん、わかった。あたし、頑張って堪えるわ!」
優香は決意に満ちた表情で言うのだった。
- 2010/10/31(日) 16:54:01|
- 優香
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